2017.3.15
東日本大震災避難者支援フォーラム2017.3.11

東日本大震災から6年

2017年3月11日

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2017年3月11日(土)13:00~、とりぎん文化会館にて、『東日本大震災避難者支援フォーラム2017.3.11 あの時私は… そしてこれから私は… ~「災害」を自分のこととするために~』を開催しました。

毎年夕方から開催していましたが、今年は土曜日でしたので、日中に開催し、大変多くの県民の皆様にお越しいただきました。

まず初めに、当協議会の代表より開会の挨拶をしました。

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次に、ご共催をくださいました鳥取県より野川聡統轄監のご挨拶をいただきました。

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また、ご後援をくださいました鳥取市より企画推進部の久野壯地域振興局長のご挨拶をいただきました。

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今回は、リレートークで、岩手県大槌町の「大槌保育園」の八木澤弓美子園長先生と、同県釜石市の「かまいしこども園」の藤原けいと園長先生、そして、宮城県石巻市から鳥取県に避難して来られた「権現庵」の料理人の神山孝光さんより、震災当時の津波被害の体験や現在の心境をお話していただきました。

初めに、大槌保育園の八木澤園長先生よりお話をしていただきました。

3.11の日は大槌町から離れるのもではないと思っていたが、今回お話をいただいた時、3.11を外から自分なりに整理をする機会なのではないかと思い、鳥取に来ていただきました。

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大槌町は、町の52%が津波で壊滅的な被害を受けました。

当時の大槌保育園は、113人の子どもたちを預かっており、お昼寝から目覚めたばかりに地震が発生。

避難場所と決めていた高台にあるコンビニエンスストアへ走り、迎えに来られた保護者の方々に引き渡していると、家や車を飲み込みながら津波や火事が襲ってきました。

無我夢中で国道を走り、職員と周りの方々に協力してもらいながら、子どもたちを背負って山に登り避難させ、3日目に全員無事に保護者の元へ引き渡しましたが、コンビニエンスストアで保護者の元へ引き渡した9名の子どもたちと保護者が犠牲になりました。

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「なぜ助けられなかったのか…保育士の仕事って何だろう…」

この仕事を辞めようと思ったが、職員と再会したときの安心感やみんなの温かさを感じ、支援のおかげで3ヶ月ぶりに仮設のプレハブ園舎で保育再開しました。

そして、2013年5月に大槌保育園は甦ったが、その場所は、津波被害にあった元の園舎で全てを思い出す場所。

職員に辛い思いをさせてしまった自分に罪悪感が襲ってきて、子どもたちや職員と向き合えなくなり、早く再建したことで「よかったね、頑張ったね」と言われることがさらに罪悪感となっていました。

しかし、子どもたちともしっかり向き合い、一生背負って生きると決めたのは自分であり、前に進めていなかったのは大人である自分だと気づきました。

現在の大槌町は、約4割の方しか戻らない状況であり、仮設住宅で暮らしている方は、来年9月までに完全退去しないといけない。さらに、あと2年で復興工事がすべて終了する予定です。

大きな震災を経験して、普通の暮らしの有難さを痛感したのに、人は時として忘れてしまう…

震災を忘れないと言われることは、求めることではなく、私たちが心にとめて生きていくこと…

”大切なものを守る”という想いは、様々なことに立ち向かえる原動力であると、この6年間生き続けてこられたパワーでした。

と、言葉にするのが辛い心情の中、一言一言心から振り絞るように語ってくださいました。

 

次に、かまいしこども園の藤原園長先生にお話をしていただきました。

3.11に釜石市を離れ、八木澤園長先生と鳥取に来ているということは、とても大きな出来事だとおっしゃられ、震災当時の写真や現在の写真、子どもたちの写真も見せていただきながら、お話していただきました。

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当時は、釜石保育園という保育園で釜石市の中心街にあり、75名の園児がいました。

お昼寝中に地震が発生し、激しい揺れの中、恐怖のあまりどう職員に指示したのか覚えておらず、地域の方々が協力してくださり、避難場所の高台の公園に子どもたちを抱っこして上げてもらい避難し、その後、高台に繋がっている病院で4日間過ごしました。

そして、次々に保護者の方が迎えに来られて全員無事に引き渡しましたが、高台に避難してから迎えに来られた母親と祖母と子ども2人が命を失いました。

その事実を5日後に知り、「もしあの時返していなければ…」と悔やみました。

津波被害にあっていない場所では数日後には普通の生活が始まっていたので、再開場所を探し、仮設園舎で再開しましたが、厨房もなくガスも止まってる状況で、子どもたちにはおにぎりを持参してきてもらっていました。

4月中は余震が続き、職員は不安と怖さをグッと我慢して子どもたちを安心させていましたが、子どもたちのいないところで泣き出す職員もいました。

仮設園舎で4年間過ごし、災害に備えた設備で「かまいしこども園」が設立。

毎月の避難訓練も欠かさず行い、昨年台風10号が直撃し被害を受けたことで岩手県の指導のもと、土砂災害の訓練も行っています。

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当時いた子どもたちは、現在小学生になりましたが、震災を経験して、辛い経験をした記憶はずっと消えないはず…。その時大人が気づいてあげること、そして、被災地の方々だけではなく、全ての人たちが理解することが必要です。

この震災で失ったものは多すぎたが、その中でも人の温かさやたくさんの愛に触れることができました。

職員の悲しみや苦しみも癒されてはいないし、時間が解決する日は来ないと思う。

一生苦しいままだと思うが、その思いで忘れないのであれば苦しいままでいい…

毎年カレンダーが3月11日になると胸が苦しくなり、3月11日2時46分が過ぎるとまた1年が始まります。

今日より悪い日はないと信じて、亡くなった方を思い、釜石を見つめ、また明日に向かって頑張って生きていきたいと思います。

と、振り返るのも苦しい想いを抑えながら語ってくださいました。

 

地震発生時刻の午後2時46分に犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、参加者全員で黙祷を行いました。

 

最後に、宮城県石巻市から鳥取県に避難してきた神山孝光さんよりお話をしていただきました。

この時期がくると鮮明に当時の状況が思い起こされ、本当は話したくも聞きたくもないが、話さないと理解してもらえない。また、災害に対して明日は我が身かもしれないと思ってもらいたくてお話を引き受けてくださいました。

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26年近く寿司割烹のお店を営んでいましたが、地震の影響で仕入れ先も断たれ、ライフラインも止まり、これからどうやって食べていくのかと絶望しました。

流通がストップし、混乱している状況の中、お店に備蓄してる米や新鮮な魚をすべて地域の方に無料で提供したが、ある食料品店は自分の私利私欲を優先しており、同じ商売人として悔しい思いをしました。

「こんな時だからこそ、なぜ助け合わないのか!?」

地震発生後、子ども5人と妻の安否が確認できるまで最悪の事態が頭をよぎったが、最後に妻が帰ってきた10日目に家族全員が無事であった喜びは非常に大きいものでした。

しかし、次男が9日間避難している時に他の避難している人たちのために1人で食料調達に探し歩き、多くの犠牲者を目の当たりにしたため、体調を崩してしまいました。

子どもたちのためにどうしたらいいのか。次男を生かすためにどうしたらいいのか。

妻とわずか20~30分の短い時間で真剣に考え、住み慣れた土地と環境を捨てるしかないと決断しました。

次男が再起をたてて、自分の人生を歩めるように…

そのような思いで、鳥取に避難し、現在は鳥取市内に「権現庵」というお店を営んでいます。

どれだけ親が子どものために行動できるか。親は子のために、子は親のために。

自分さえよければという気持ちではいけない。人のためにどれだけ生きられるのかが大事です。

と訴えかけられました。

 

壮絶な経験をされた話を聞いて、東日本大震災という現実を知らせていただきました。

また、その現実をどう捉えて、どう活かしていくのかを考えさせていただいた時間となりました。

様々な想いを抱えながら過ごす3.11の日に、お話してくださった八木澤様、藤原様、神山様には本当に感謝申し上げます。

そして、ご参加いただきました皆様、また、ご寄付をいただきました皆様には心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

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