2019.3.20
東日本大震災避難者支援フォーラム2019.3.11

東日本大震災から8年

2019年3月11日

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2019年3月11日(月)18:00~、鳥取市人権交流プラザにて、『東日本大震災避難者支援フォーラム2019.3.11 復興の力 ~東日本大震災から今を語る~』を開催しました。

各地で大きな災害が発生している今、いつどこで起こるか分かりません。

被災体験者の方より実際に起こった悲惨な事実を知り、その後の復興活動を学び、私たち一人ひとりの災害意識はどうなのか?私たちが住んでいる地域はどう備えているのか?災害について改めて考えていただくフォーラムを開催しました。

始めに、当協議会の川西代表より開会の挨拶をしました。

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次に、ご協賛くださいました鳥取県より岡村統轄監のご挨拶をいただきました。

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東日本大震災で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、参加者の皆様と黙祷を行いました。

 

お話していただく前に、12月に当協議会と支援者の方々で被災地を訪問した報告を行い、県民の皆様に被災地の現状をお伝えしました。

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今回は、宮城県石巻市にある大正2年創業の日本料理店4代目女将の阿部紀代子さんと福島県伊達市保原町出身で復興支援拠点「みんなの家」で復興支援コーディネーターをしている佐藤静香さん、福島県福島市出身で大学生の浪岡志帆さんにお越しいただき、震災当時の状況とその後の活動や関わりについてお話していただきました。

始めに、津波被害を受けた宮城県石巻市で日本料理店を営んでいる阿部紀代子より、震災直後に町の復興に携わったお話をしていただきました。

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震災前から町の活性化に向けて動き出そうとしていた矢先に起こった大地震。

激しく長い揺れで歩くこともできない中、津波警報が出されました。逃げる準備をして、北上川の近くにある店舗兼住宅の前に立つと、川は高い水の壁を作っていました。真っ黒な水が水位をあげ押し寄せてきて、お店の屋根に逃げ、「これ以上水位が上がりませんように…」と祈りながら、あらゆるものが流されるのを見ているしかできませんでした。

川に近い建物の1階部分はほぼ全滅。幸い身内を失うことはありませんでしたが、お店の中は泥水や植木等が入り込んでいました。

「町はどうなっているのか…」状況を知るために歩き回り、出会った人から情報を得たことで、情報が大切だと感じ『生きるための朝会』をスタート。水や食料の確保場所等、みんなが持っている情報を共有し、いつまで続くか分からない状況をみんなの力で乗り切るために考えられることを実行しました。

店舗兼住宅にボランティアは派遣されず困り果てていた時、鳥取県社会福祉協議会のボランティアが入ってくれました。

「このままではいけない、自分たちの手で何かしよう」と商店主らとサバ缶やTシャツを販売して、復興資金に充てるプロジェクト『石巻ZENKAI商店街』がスタート。このプロジェクトでたくさんの温かい人に出会い、頑張ろうと思えました。

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また、『街なか復興会議』と『松川横丁再建勉強会』を立ち上げ、町全体の復興を目指しました。何度も話し合いを重ねて目標を掲げ、関わる人が共通認識をもち、その後、具体的に活動するため『コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会』という組織に変わり、2012年より活動開始。現在も町全体の復興が進められています。

実際に私が関わった小さいエリアは、補助金を受け、地権者4名で共同化を進め、地権者が納得するまで話し合い、2015年9月にテナントやシェアハウス、地権者住宅、賃貸住宅が入る『COMICHI石巻』がオープンしました。

私のお店も大幅に改修して再開することができました。現在、防災活動に力を入れており、飲食店としてお客様の安心安全を考え、夜の避難訓練をしたり、各県に出向き避難訓練をしています。

復興していく町ですが、時間の経過と共に人口減少が止まらず、商売もままならなくなりそうです。その中で、町の賑わいを創出する企画を今後取り組んでいくことを考えています。

あの大きな不幸の後だから、次は“みんなで幸せになろう”という気持ちのために活動していきたい。とお話くださいました。

 

次に、震災当時、福島県南相馬市小高区に単身赴任していた佐藤静香さんより、当時の状況とその後の活動についてお話をしていただきました。

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当日は、仕事中で大きな揺れの中、なんとか机の下に隠れました。何度も余震があり、この先どうなるのか…と不安が襲いました。

次の日に原発が爆発して、会社から自宅待機と連絡がありました。仕事をしないと収入がなくなる不安もありましたが、まずは食料や水を確保しないと…と気持ちを切り替えました。ガソリンも残り少なかったが、とにかく必死で探しました。

そんな中、山形県にある関連会社に一時移動と会社から連絡がありました。知らない土地で慣れない仕事内容や勤務体制に体調を崩してしまい、25年勤務した会社を退職しました。

その後、避難者の就職相談生活事業に就職して、仮設住宅を巡回し、相談をじっくり聴きました。その時、心がけていたことは、人の話を否定しない。とにかく話を聴くこと。話す人は、話して気持ちがスッキリしていきます。この仕事は好きでしたが、またもや体調を崩し、入院してしまいました。

現在は、避難してきた親子や戻ってきた方が悩みや不安を話せる場を提供する支援活動を行っています。様々なイベントを開催し、自主避難したママたちが集まり震災後の福島での生活を話し合い、改めて自分の気持ちと向き合えました。

今までは不安や不満が多かったが、今度は福島の事を伝えなきゃという前向きな気持ちに変わってきていて、この前向きな気持ちを大切にしながら活動できたらと思っています。とお話くださいました。

 

最後に、震災当時、中学1年生だった浪岡志帆さんより、子どもの目線で感じた当時の状況と8年経って大学生となった今思うことをお話していただきました。

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卒業式だったその日は、昼に帰宅し、家の2階にいた時に激しい揺れがきました。

1階にいる母が心配で、震えが止まらなかったが、なんとか冷静になろうと気持ちを落ち着かせました。母は無事で、近くの公園に逃げ、寒さに凍えながら今後どうするか地域の方々と夜まで話しました。

とりあえず今日を生きる事を考え、食料や水を求め、コンビニへ行きました。こんな状況でも店員さんは「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

4日目に電気が復活し、テレビで被害状況を知り、原発が爆発したことを知りました。

情報がない怖さ、目に見えない怖さはこれからも味わうだろう。誰も正解を教えてくれないからこそ怖い。何が正しいのか自分で見極めていかないといけない。

ここに住むのは恐ろしいと思い、両親に山形への転校を打診し、高校まで山形で過ごしましたが、精神的に悩むことが多かったです。

現在大学生となり、震災から色々な事を考えて強く感じたことは、家族や周囲の人々の優しさ、水や食料、電気が当たり前でないこと。当たり前の備えをして家族や自分を守る手段を持っておくべき。

未だに原発事故について何が本当なのか分からないし、自分の体は大丈夫なのか分からない。今思うと避難してよかったのか正直分からないが、避難して自分なりに地域や災害について考えられたことは人生においてとても大きなことでした。とお話くださいました。

 

何年経とうが複雑な気持ちは変わることはないこの日にお話くださいました阿部様、佐藤様、浪岡様には心より感謝申し上げます。

そして、ご参加くださいました皆様、また、ご寄付をくださいました皆様には心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

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