2018.12.18
【被災地訪問報告】12/7~12/9(宮城県、福島県)

支援者の方々と宮城県と福島県を訪問しました。

天候が心配でしたが、東北は晴れており(寒かったですが…)、震災があった3月の寒さをより感じました。

まず、宮城県南三陸町の新しくなった『さんさん商店街』を訪れました。

IMG_5844

週末はたくさんの人で賑わっているようですが、平日ということもあってか、あまり人がいませんでした。そこから見えた防災対策庁舎の周りは、かさ上げ工事が進められていました。

IMG_5849

IMG_5853

次に、今年3月のフォーラムでお話くださった麻生川さん(元校長)にご案内していただき、当時海岸近くにあった小学校から児童たちを避難させた宇津野高台で当時のお話を聞かせていただきました。

IMG_5872

実際に高台に上がると海までは距離があり、かなりの高さがありました。

そこから小学校跡地が見え、こちらも周辺はかさ上げ工事が進められていました。

IMG_5874

「足元まで津波が押し寄せてきたので、更に高い場所にある五十鈴神社へ児童たちは泣きながら駆け上がった」神社にも実際に上がりました。

IMG_5885

IMG_5901

「このわずかな広場に地域の方々も避難し、児童たちは学年ごとに固まって一夜を過ごした」

12月上旬の夕方近くに訪れた私たちの手も冷たくなるほど寒く、3月の当時はかなり寒さが厳しかったであろうと想像しました。また、津波が押し寄せてくる恐怖にも耐えながら児童たちはよく命を守ったと感じずにはいられませんでした。

お忙しいところご丁寧にご対応くださいました麻生川さん、ありがとうございました。

———————————————-

翌日、石巻市の日和山公園を訪れました。

IMG_5914

何度かこの場所に立ち寄り、辺りを見渡してきましたが、眼下には津波で流された平地にぽつりぽつりと建物が見えるものの、この7年間で大きな変化は見られないように感じました。

IMG_5934

後方に回ると、津波で唯一残った北上川の中州にある石ノ森萬画館は、再開したようであるが、ここもあまり変化が見られないように感じました。

IMG_5925

次に、福島県南相馬市小高区を訪れ、以前フォーラムでお話くださった佐藤さん(市職員)とご紹介していただいた井理さん(市職員)に当時のお話を聞かせていただきました。

震災当時、市の生涯学習センターで働いていた井理さん。

「避難所運営をすることとなり、小高区の自宅からあるだけの米を持参し、炊き出しに備えたが、利用者から苦情や難題などを受けながら寝ずの対応を続けてきた。自分の不眠不休を案じて同僚から自宅に戻るように促され、帰った時には意識を失っていた。津波で被害を受けた自分たちの地域は、追い打ちをかけるように原発事故により警戒区域となり、家族と避難し、現在は家族バラバラに生活している」

IMG_5951

井理さんより南相馬小高の啓発資料として震災の状況を伝える紙芝居『未来への伝言』を読み聞かせいただきました。

IMG_5962

お話を聞かせていただいた後、除染土が置かれていた校庭や国道6号線を超えて津波がきた田んぼ、ご自宅をご案内していただきました。

IMG_5969

IMG_5980

IMG_5993

小高区は避難指示解除になりましたが、移動中に辺りを見る限り、人が行き交う光景はあまり見られませんでした。

お話くださった井理さんの正義感の強さゆえに体調面が心配に想います。どうかご自愛くださいませ。

お忙しいところ時間を作ってくださり、誠にありがとうございました。

小高区を後に、国道6号線を南下して、いわき市に向かいました。

その道中から見えた景色は、帰還困難区域の看板があちらこちらにあり、枯れた草木が周りにある手付かずの建物が並んでいました。

IMG_6002

IMG_6003

そして、所々にフレコンバックを目の当たりにし、福島第一原子力発電所付近に入ると通行止めのバリケードがいくつもありました。

IMG_6034

IMG_6018

辺りは薄暗くなり、ちらほら灯りが見え始め、行き交う自動車も多いように感じました。

———————————————-

最終日は、いわき市を訪れ、『いわき・ら・ら・ミュウ』で展示中の東日本大震災展の会場で、大熊町からいわき市に避難した方に当時のお話を聞かせていただきました。

IMG_6051

IMG_6056

「海岸から少し内陸に住んでいた自分の地域は、身動きの取れない強い揺れを感じた。そして、あの大震災の影響だけではなく、その後の原発事故の影響で、はっきりとした情報がないまま避難を強いれら、立ち入り禁止区域となった我が家を後にし、家族で避難所生活を3週間おくった」

「時折、大熊町の自宅に入ることを許され、防護服を着て向かうが、現在も自宅付近やお墓辺りは、かなり放射線量の数値が高い状態が続いている」

IMG_6079

IMG_6069

言葉に詰まりながら当時の状況をお話くださり、とても深く考えさせられましたし、聞いていて胸が詰まる想いでした。

お忙しいところ辛い経験をお話していただき、誠にありがとうございました。

 

被災地では、7年9ヶ月経った今もなお復興活動は続いており、被災者は大震災で生活が大きく変わった中で、様々な想いを抱えながら生活している現状を知ることが出来ました。

毎回感じますが、離れた場所に住んでいると復興状況は分かりにくいですが、実際に被災地に足を運び、お話を聞かせていただくことで、当時の状況や現在の生活風景、なにより現地の空気感をより肌で感じることができ、知ることの大切さを実感します。

この度も、訪問先の方々のご理解とご協力により、とても貴重な研修をさせていただきました。

ご対応くださった皆様には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

コメントは停止中です。