2018.3.19
東日本大震災避難者支援フォーラム2018.3.11

東日本大震災から7年

2018年3月11日

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2018年3月11日(日)13:30~、鳥取人権交流プラザにて、『東日本大震災避難者支援フォーラム2018.3.11 忘れないこと!続けていくこと! ~明日からの私たちのために~』を開催しました。

まず始めに、当協議会の川西代表より開会の挨拶をしました。

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次に、ご共催くださいました鳥取県より岡村統轄監のご挨拶をいただきました。

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そして、東日本大震災で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、参加者の皆様と黙祷を行いました。

 

今回は、宮城県富谷市東向陽台小学校長の麻生川敦さん(南三陸町戸倉小学校の元校長)と福島県飯舘村復興対策課長の中川喜昭さんにお越しいただき、震災当時の状況や現在の復興状況について、お話をいただきました。

始めに、津波被害を大きく受けた南三陸町の戸倉小学校に赴任されていた麻生川校長先生より当時の状況とその経験から感じたことをお話いただきました。

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戸倉小学校に赴任していた時、高台に避難する訓練をしていました。

一年生と二年生が帰った後に地震が発生し、強い揺れの中、津波が来る前に校舎にいた児童たちと高台に避難することが出来ました。高台から津波の状況を見ていたら、30秒後に校舎の一階が水没し、ここでは危険だとさらに高い場所にある神社へ児童は泣きながら駆け上がりました。

マニュアルの避難場所は、校舎屋上と高台でしたが、高台にいたら全滅していました。

目の前でアパートや車にいた人たちが流され、一緒に高台に避難し帰宅した一人の先生と自力で高台に避難し知人の車にいた二年生の女児が犠牲になりました。

安全なはずのところが安全ではない想定外の津波でした。

児童たちは、神社で恐怖と寂しさ、空腹と寒さに耐えながら、地域の方々に助けられ一晩野宿しました。

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想定外のことは起こる。想定にとらわれてはいけない。その場で判断しないといけない臨機応変な行動がとれる覚悟とベストよりベターの判断で行動することが必要。

また、児童たちは被災の中で、悲しい思いや苦しい思いをしており、元気であっても元気の中に心の傷が共存していました。心の被災は、被災そのものではなく心の状況によって規定されます。孤立しないよう人と繋がっていくことと繋がりをどう作るのかが大切。

鳥取の皆様に時々声掛けや被災地のことを考えてくれることが何よりも私たちの慰めであり、力になる。できればこれからも忘れずにいていただきたい。とお話くださいました。

 

次に、福島第一原発事故の影響で全村避難となり、2017年3月31日に一部地域を除いて避難指示解除となった飯舘村。復興対策課の中川課長より当時の状況と現在の復興状況をお話いただきました。

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飯舘村は、“のんびりと暮らしながら人生を楽しむ”飯舘流スローライフを『までいライフ』と呼び、『までい』とは“つつましく、心を込めて、丁寧に、手間ひまを惜しまず”という意味。地域との繋がりが強く、お互い頑張ろうねという村。

のんびりと牛が暮らし飯舘牛というブランドをはかって頑張っている中、地震が発生。災害対策本部を作り、村の状況を把握し、被害はあったものの大きな被害はありませんでした。

そんな中、津波の影響と原発が爆発する恐れがあるとの噂があり、浜の方々を受け入れました。その後、白い服を着た人が入ってきて、「健康の恐れがあるから避難しなさい」という指示が突然やってきました。村民の避難、事業所の避難、牛の避難と避難するのに6月いっぱいかかりました。

避難した後、世帯数が増えたのですが、それは家族が別れて生活したということ。避難によるストレスと高齢者と若い方々が別れ、家族がバラバラになってしまった哀しみ。とても辛かったです。

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復興に向けて徐々に環境が整い、昨年3月31日に一部地域を除いて避難指示解除になりましたが、帰還した人は10%程度。ほとんどが高齢者で若い人は子どもの関係で帰還していません。

今年4月に学校を再開し、幼小中20%程度帰還しました。医療機関は再開しているが、維持と人材不足など避難解除になってもまだまだ課題があります。

しかし、帰りたいと思う村民のために村は残さなければならない。展望を持てる形にしていかないと帰りたいと思う村民が帰れなくなる。そういう想いをもちながら、批判を受けながらも前に前に進もうと…

放射能の戦いは5年や10年ではなく、30年、50年の戦いだと思うので、いつか自立しながら生活再建をする考えをしなければならない。時間をかけて頑張って、新しい飯舘村、昔懐かしい飯舘村にしていければ。とお話くださいました。

 

最後に、鳥取県に避難している方々の声をメッセージでお伝えさせていただきました。

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・何より不安なのは、住宅支援が切れてしまった後の住む場所。子どもの学校や地域での生活も慣れてきたので、今の住宅に住みたいと思っています。

・時間の経過で、不安な気持ちを言える環境や場所があることを望んでいます。

・今後のことを考えなければいけないのですが、どのようにすればよいのか動けないです。

・福島では食べ物や子どもの遊び場など行動を制限してきたが、鳥取では制限がない生活ができています。

・鳥取に避難し、福島と比べていましたが、放射線の心配をせずに暮らせることは良かったです。だた、災害に対する危機感の違いをとても感じました。

・何も収束していない福島第一原発に思うところあるけれど、鳥取に生活を移せて家族元気に楽しく暮らしています。

・何よりも食べ物がおいしい。行政支援の県営住宅入居期間が長くてとても助かりました。

 

7年経ちますが、不安を抱えている人はたくさんいます。

「忘れないこと 続けていくこと」とはどういうことなのか。また、具体的に私たちは何が出来るのか。「復興」とは、一人一人が自分の足で立てるような環境を作っていくのが復興なのではないでしょうか。

3.11 この日に辛い体験をお話していただいた麻生川様、中川様には心より感謝申し上げます。

そして、ご参加くださいました皆様、また、ご寄付をくださいました皆様、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

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